貴重な平日休み。清里~佐久経由で
2012年 06月 15日
奇跡的に平日休みをとってくれた夫。母も一緒に、ひさびさに清里経由で
飯綱へ。
亡き父に縁の深い清泉寮へ立ち寄りました。
日本聖公会系のクリスチアンだった父は、大戦直後からしばらくKEEP協会の
職員でした。
職員とはいえ事務方どころか、ラッシュ氏のもとで開墾を手伝ったそう。
結核から復活した病み上がりの肉体を駆使して…。
現在はありませんが、出身大学の優秀な医師たちを招くなど聖ルカ(聖路加)
亡き父に縁の深い清泉寮へ立ち寄りました。
日本聖公会系のクリスチアンだった父は、大戦直後からしばらくKEEP協会の
職員でした。
職員とはいえ事務方どころか、ラッシュ氏のもとで開墾を手伝ったそう。
結核から復活した病み上がりの肉体を駆使して…。
現在はありませんが、出身大学の優秀な医師たちを招くなど聖ルカ(聖路加)
診療所の開設に懸命だったようです。
ラッシュ氏の胸像をカメラに収める母。
父の清里赴任は父母の新婚時代~私がうまれてからも続きました。
母の家には、父が清里へ通っていたころの父と母の往復書簡が多く残されています。
清泉寮で昼食をいただいたら、一目散に信州へ”帰宅”しなくては。
夜、9時前に牟礼駅に到着する息子を迎えにも行かなくてはなりません。
でも、ちょっと立ち寄っていきたかったのが、聖アンデレ教会。
中には入りませんでしたが、何ともいえない懐かしさがこみあげてくるのは、
そこに父の存在を感じたからかなあ。
心残りながら出発しようと車に乗ると、教会のすぐ近くの聖ヨハネ保育園の
子どもたちが、園庭の柵越しに集まって、こちらを向いて口々に何か言っています。
どうやらわが家の車が珍しかったようで、保育士さんはちょっぴり困り顔。
闖入者としてこちらも少し気恥ずかしく、ちびっ子たちに"バイバーイ"と手を振って
ラッシュ氏の胸像をカメラに収める母。
父の清里赴任は父母の新婚時代~私がうまれてからも続きました。
母の家には、父が清里へ通っていたころの父と母の往復書簡が多く残されています。
清泉寮で昼食をいただいたら、一目散に信州へ”帰宅”しなくては。
夜、9時前に牟礼駅に到着する息子を迎えにも行かなくてはなりません。
でも、ちょっと立ち寄っていきたかったのが、聖アンデレ教会。
中には入りませんでしたが、何ともいえない懐かしさがこみあげてくるのは、
そこに父の存在を感じたからかなあ。
心残りながら出発しようと車に乗ると、教会のすぐ近くの聖ヨハネ保育園の
子どもたちが、園庭の柵越しに集まって、こちらを向いて口々に何か言っています。
どうやらわが家の車が珍しかったようで、保育士さんはちょっぴり困り顔。
闖入者としてこちらも少し気恥ずかしく、ちびっ子たちに"バイバーイ"と手を振って
お別れしたのですが…。
※追記。翌日、大好きな清里のペンションのブログをたずねると、偶然にも私たちと
※追記。翌日、大好きな清里のペンションのブログをたずねると、偶然にも私たちと
同じ日に教会を訪れておいでで…。
さらにその後、「聖ヨハネ保育園」の園歌は、なんと私たち兄弟が幼かった頃、
さらにその後、「聖ヨハネ保育園」の園歌は、なんと私たち兄弟が幼かった頃、
父に教わり、何度となく歌わされた歌であることを知り…。
もっと早く知っていたら!あの子たちと唱和(?)できたかもしれなかったんだ・・・
もっと早く知っていたら!あの子たちと唱和(?)できたかもしれなかったんだ・・・
by aki_ko_ko
| 2012-06-15 21:41
| 清里
|
Trackback
|
Comments(0)